フェルッチオ・ランボルギーニ

フェルッチオ・ランボルギーニ  フェルッチオ・ランボルギーニは1916年4月28日にボローニアの北、チェント近郊のレナッツオの裕福な農家に生れました。幼いころから機械に興味を持ち、やがて工科大学に進学。卒業後の1939年、徴兵されて整備兵となりましたが1944年に捕虜となり2年後に帰国します。
 彼は軍での経験を活かし、軍放出トラックを改造したトラクターを売る商売を初め、1949年にはトラクター製造会社であるランボルギーニトラットリーチ社を設立、実業家として成功しました。

 フェルッチオは1960年にボイラーと空調機の会社を作り、その3年後に自動車会社を設立します。1966年に名車ミウラで世界的に知られるようになったランボルギーニは、1970年まで順調な経営を続けましたが翌1971年にボリビア動乱に絡むトラクターの大量キャンセルによって苦境に陥りました。
 フェルッチオはトラクター会社を売却、自動車会社も株式の半分を手放して建て直しを計りますが、折からのオイルショックにより1974年には残りの株式も譲り引退しました。
フェルッチオ・ランボルギーニ

フェルッチオ・ランボルギーニ  自動車業界を去ったフェルッチオは1970年から始めていたワイン作りに全精力を注ぎました。彼の葡萄畑はイタリア中部トラシメーノ湖の畔にあり、土壌や品種選定まで資金と時間をかけたそのワインは素晴らしい味と賞賛されました。晩年はその葡萄畑に隣接したリゾート施設の開発もてがけていましたが1993年2月20日に亡くなりました。
 熱血イタリアーノで親分肌だったフェルッチオを慕う人は多く、ランボルギーニの各会社には彼の崇拝者がまだたくさんいます。

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